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アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ 1
お好みのベヴァンダを 1
チョコラータ・カルダ
スプマンテに溺れたい
十二月の風物詩

シリーズ・アリオリ◆アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ 2

 やっと残業を切り上げて退社し、会社の前の道ですぐスマホを取り出した。
『いま会社出た』
『駅の改札で待ってる』
 返信を読んだ私は人ごみに切り込むようにして駅へ急いだ。改札のすぐ脇で、むっちゃんが待っていた。
 
 一緒の電車に乗って自宅の最寄り駅で降り、駅前の商店街まで来たところで、私はむっちゃんに頼んだ。
「お願い。あの酒屋で飲み物買って来て。私その間に先に戻ってちょっと家片付けるから」
「何分後くらいに出発すればいい?」
「じゅう……ごふん」
 三十分と言いたいところをぐっとこらえてそう言った。
 
 帰宅して大慌てでそのへんに散らばるやばそうなブツをまとめてとりあえずゴミ袋に詰め込み、浴室に放り込んだ。それからざっと掃除をして、キッチンで目につくところを片付けた。 
『いつでも来ていいよ』
 そうメールを送ってからまだ、ファンデと口紅を塗りなおして鍋を火にかける時間が残っていた。
 
 玄関のチャイムが鳴ってドアを開けると、酒屋の袋と小さな花束を手にしたむっちゃんが立っていた。
「やーん、むっちゃん気がきくー」
 花束を持ってやってくるなんて、なかなかいい男じゃないか。見直したぞ、むっちゃん。
「おじゃまします」
 そこでお互いに少し照れた笑みを交わした。
 
 さっそく上がってもらい、ローテーブルの前に案内した。まずは二人でむっちゃんの買ってきたビールの缶を開けて乾杯した。
「じゃあパスタ作ってくるから、それまでくつろいでてよ」
「手伝うよ」
 テレビをつけてキッチンに戻ろうとした私を追って、手にビールの缶を持ったむっちゃんが立ち上がった。
 
 やば。
 これって妄想したシチュエーションだ。
 
 妄想の中ではこの後で彼氏は私の腰に腕を回して包丁をつかう私の邪魔をし、二人はキッチンでいちゃいちゃするのだ。
 
 あわててむっちゃんに背を向け、パスタの袋を取り出した。
「むっちゃん、スパゲッティどれくらい食べる?」
「このくらい」
 振り向くとむっちゃんが親指と人差し指でCの字をつくっていた。なんだか可愛くて和んだ。えっちい下心があるのは私だけみたいだ。
「いつもこのくらい茹でる」
「じゃあ自分で入れて」
 パスタの袋を渡すと、むっちゃんが聞いてきた。
「由美子ちゃんはどれ位?」
「このくらい」
 私もさっきのむっちゃんのように自分の指で、CではなくOの字をつくった。
 
 むっちゃんがパスタを茹でる間に、冷蔵庫からとうがらしとにんにくを取り出した。
「ところでむっちゃん、辛いの平気?」
「それ何?」
 むっちゃんは質問に答える代わりに、私の手元を見て逆に訊いてきた。
「生とうがらし。うちの実家から送ってきた。おばあちゃんが趣味で野菜作ってるの」
「由美子ちゃんち、どこだっけ?」
「山口。関門海峡の近く」
「ああ、長州」
 その言葉に込められた微妙なニュアンスが、少し居心地を悪くした。台風は多いけどいい所なのに、山口。
 私はむっちゃんの言葉が聞こえなかったふりをして、今朝できるようになったばかりの包丁づかいでとんとんとにんにくを薄切りにし、とうがらしには筋を入れて中の種を出した。
 フライパンにオリーブオイルを多めに入れて、にんにくととうがらしを低温で揚げるようにしてオイルに風味を移す。横のコンロではむっちゃんがパスタをくっつかないように菜箸で混ぜながら、ビールを飲んでいた。
 
「由美子ちゃんもビール飲む?」
「うん」
 フライパンとビーターを両手に頷くと、むっちゃんが自分の飲んでいたビール缶を私の唇にあてがった。
 
 これって間接キスだよね。
 
 一瞬のためらいは、たぶんむっちゃんには気付かれなかったと思う。口をつけた缶を、むっちゃんが器用に傾けた。冷たいビールと炭酸が口の中に流れ込んではねた。火の前にいたから冷たいビールがすごく美味しい。
 喉を鳴らして一口、二口飲んだところで、むっちゃんが缶を口からはなしてくれた。
「あ、ごめん。口紅つけちゃった」
「いいよ」
 むっちゃんはついた口紅を拭いもせずに、再び缶に口をつけた。少し赤くなってるのが、ビールのせいなのかキッチンが暑いせいなのか、間接キスのせいなのかは分からない。
 
 ぎこちない沈黙の中で、鍋のお湯がぐつぐついう音と、フライパンのオイルがチリチリいう音がやけに大きく響いた。
 
 今もしも隣にいるむっちゃんを見上げたら、キスされる予感がした。
 
 どうする? しちゃう? それじゃ簡単すぎ?
 自問自答をぶち切ったのは、パスタが茹で上がったことを知らせるキッチンタイマーだった。
 
 むっちゃんが無言でタイマーを止め、片手で持ったザルの中に鍋の中身をあけた。もうもうと上がった湯気は、ゆっくりと漂いながら換気扇に吸い込まれていった。
「ここに入れちゃって」
 フライパンを指してそう言うと、むっちゃんがパスタをフライパンの中に移した。
 
 チャンスの神様は、前髪を掴まなくちゃいけないんだったっけ。
 今、思いっきりチャンスを逃しちゃったみたいな気がする。
 
 パスタが出来上がったところで、今更なことを思い出した。
「あ、しまった。先にサラダ作ろうと思ってたんだ」
「えー。もういいから食べようよ」
 むっちゃんがおあずけを食らった子犬みたいな顔で訴えた。
 
 テーブルにランチョンマットを敷いて、きりっと冷やした白ワインとサラダ、それにアーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ。デザートはコンビニスイーツだけど一応イタリアっぽくティラミスかパンナコッタ、それにエスプレッソを淹れて――そんな乙女な妄想の代わりに、ぴーぴーと鳴く子犬のようなむっちゃんの前に並んだのは素のままのテーブルに缶ビールと山盛りのアーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノだけだった。質素すぎる。人を呼んでおいてこれかよ、と怒られてもおかしくない。
 
「うまいっ! これうまいよ、すごく。由美子ちゃん料理うまいなあ」
 子犬顔のむっちゃんは一口食べてすぐにそう声を上げた。社交辞令と分かっているのに顔が赤くなった。パスタ茹でたのはむっちゃんだし。
「むっちゃんちのにんにくが美味しいんだよ」
「由美子ちゃんちのとうがらしも」
 お互いにそう誉めあって、はふはふしながらできたてのパスタを口に運んだ。
 なんかこれって、いいかも。二人でおうちごはんとか、すごく幸せかも。
 アッキーが昼間言った『胃袋からがっつり押さえ込んで』というフレーズがひょっこりと脳裏によみがえった。『ベッドへもつれ込む』まで思い出したら、体温がぐんと跳ね上がった。
「由美子ちゃん、鼻に汗かいてるよ」
 むっちゃんが笑いながら私の鼻の頭をこすった。いい歳して、胸がきゅんとなってしまった。どうしよう。
「食べたら暑くなったよね、ちょっと窓開けようか」
 慌ててローテーブルから立ち上がろうとした私の手が、むっちゃんのビール缶に当たった。缶はむっちゃんに向かって倒れた。
「わっ、ごめんっ」
 むっちゃんはすばやく避けた。運動神経いいな、さすが元野球部。さっきまでむっちゃんが座っていた場所、机の下に敷いたラグの上でビールがしゅわしゅわと泡だっていた。
「ごめんね。すぐ拭くからこっちに座って」
 むっちゃんを私が座っていた場所に呼んで、テレビの前に移るつもりでパスタ皿を移した。私が座りなおすより早く、むっちゃんが隣に並んだ。

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