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ソロモンの指環
 side M(生徒)1
 side O(教師)1
クローバーの指環 1

ソロモンの指環◆side M(生徒)1

[恋愛遊牧民/ファンタジー・サーチ共同【漢字を感じる企画】] 「恋愛遊牧民G/恋愛遊牧民R+/ファンタジー・サーチ 合同企画【漢字を感じる企画】参加(開催期間:2014/01/04-次回企画開催まで)
プロローグ

 幼い頃に本で読んだ「ソロモンの指環」。
 動物と話す力があるというその指環さえあれば、動物とお互いの気持ちを伝えあえると思っていた。

「モルはいいわね。夏野先生に大事にしてもらって、一番仲良しで、いつも一緒にいられて」
 ケージに入ったモルモットのモルに向かって、小さな声で話しかけた。モルは聞いているのかいないのか、私をちらっと見たがまたペレットをカリカリと齧る方に戻ってしまった。

 ノブを回す音がして薄暗い理科室に夏野先生が入ってきた。先生は驚いたように声を上げた。
「まだ帰ってなかったのか?」
「はっ……はい。すみません」
「そろそろ最終下校時刻だ。戸締りをするから友木も支度をしろ」
「……はい」
 のろのろと手を伸ばし床に置いた指定バッグを拾った。顔を上げると夏野先生が眉根を寄せて私を見つめていた。
「大丈夫か?」
 返事の代わりに零れたのは涙だった。
(先生。先生が好きです。大好きです)
 そう訴えても先生は答えてはくれないだろう。困らせるだけだ。
「気をつけて帰れ」
 静かにそう言った先生が、涙の理由を問いただすことはなかった。最終下校を知らせる放送前の、低いノイズがスピーカーから聞こえてきた。

 ソロモンの指環さえあれば、話すことができれば気持ちを伝えあえると信じていた――あの頃の私は、なんて無邪気だったんだろう。

 卒業式まであと1週間。先生と会えるのも、あと1週間。

* * *

 夏野先生は、私が通う五光学園高等部の先生だ。去年4月に先生になったばかりの若い先生で生物を教えている。引退まで私が所属していた生物部の顧問でもある。
 整った容貌の与える印象と、手紙やプレゼントをことごとくその場で断り、こっそり置かれたものまでも「持ち帰れ」と理科室の棚に並べる態度から、一部の生徒からは冷血と噂されている。でもそうではない。先生は不器用すぎるほど誠実なだけだ。
 先生が理科準備室の本棚に並べた本を見ればすぐに、先生が人を含めた生き物全体をどんなに愛しているか分かるのに、どうして皆は先生を誤解するのだろう。……もっとも、理科室の更に奥にある準備室の本棚の本を漁るのは、生物部の仲間達の中でもほぼ私くらいだったが。

 その本棚を埋めるのは専門書の他、シートン、ファーブル、ローレンツなどにDr.ヘリオットのシリーズ(絶版で今では古書の値段が跳ね上がっている)、レイチェル・カーソン(の「沈黙の春」ではなく「われらを巡る海」)。それから何故か混ぜ込まれた生き物の名前を題名に含むが全く生物学に関係のない本。
 この最後のは多分先生のいたずらだ。私はこの本棚から先生の思惑通りにジョン・マリーの「熱帯産の蝶に関する二、三の覚え書き」を手にとり、読んですごい衝撃を受けた。先生にしてやられたと思った。それ以来先生を見る目が変わった。
 でも先生を好きになったのは、本棚の衝撃よりもしばらく後のことだ。

 5月、先生が顧問になって何回目かのある日の部活の時だった。私たち生物部員が放課後に理科室に入っていくと、夏野先生は一旦立ち上がろうとしてふらつき、机に突っ伏してしまった。私達は慌てて駆け寄ってはみたもののどうすることもできず、保健室から先生を呼んで来ようかと相談しているうちに、夏野先生が顔を伏せたまま言った。
「ただの低血糖の眩暈だ」
「何か持病をお持ちなんですか?」
「昼を抜いただけだ。心配ない」
 肘をついてそろそろと顔を起こした夏野先生に、持っていたマドレーヌを差し出した。先生はしばらく無言で机の上のそれを見つめ、何事か真剣に考えている様子だった。
「食べて下さい。また倒れられたら困ります」
 そう強く促すと、先生は心を決めたように私を見た。
「では譲ってもらう。代金は明日――」
「要りません」
「生徒からのプレゼントは全て断っている。友木からだけ貰う訳には……おい、ちょっと待て。学校に菓子の持ち込みは禁止だぞ」
 そこへ生物部の仲間が口々に畳み掛けた。
「先生、恩を仇で返すようなことしませんよね?」
「そうですよ。さっきはすごく心配したんですよ」
 夏野先生は困ったように笑ってやっとマドレーヌをひとつ手に取った。
「これで共犯だな」

 翌日律儀にマドレーヌ代をくれた先生から、食事を抜いた理由が「絶版だった全集を古本で見つけて後先考えずに買ってしまったから」だと聞いて、つい笑ってしまった。もっと冷静な人だと思ったから意外だった。先生は少し目をそらして「あいつらには言うなよ」と言った。

 その横顔を見て、私は自分が恋に落ちたことを知った。

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