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single stories(大人向)

読切◆隣の犬

 友達が言っていた。幼馴染との恋愛なんて、隣の犬を捕まえて食べるようなものだと。
「恋愛も狩りも家から離れた場所でしなくちゃいけないの。人間はそうやって社会を安定させてきたのよ」
 それを聞いてなるほどと思った私は、次の合コンで会った男と三ヶ月付き合った。半年前に別れ、それから彼氏なしで過ごしている。

 海に行きたい。私は携帯を取り出した。三コール後に、不機嫌そうな低い声が答えた。

「なに?」
「海に行くよ」
「海って、まだ泳げねーし。一人で行けよ」
「やーだ。女一人で夜の海なんかにいったら失恋したみたいで格好悪い。きっと周り皆カップルだし」
「失恋したの?」
「してない」
 溜息が聞こえた。
「何かおごれよ」

 私は風呂上りの顔に眉だけ描いてリップを塗り直し、車の鍵をポケットに押し込んだ。車のエンジンをかけて待つことしばし、門の前に背の高い影が現れた。奴が開いた門から車を道に出し、門を閉めた奴が助手席に乗り込んでシートベルトをかけたのを確認してから走り出した。

「どこ行くの?」
「んー、どっか砂浜」
「分かった。着いたら起こして」
「寝るのかっ」 
「寝るよ。何時だと思ってるんだよ」
 そう言って奴はシートを少し倒して、腕を組んで本当に目を閉じてしまった。

 隣の犬は、私より二年あとに生まれた。あまり記憶はないが、物心ついた頃は毎日どちらかの家の庭で遊んでいた気がする。小学校に入ってからもしばらくは遊んだだろうか。将来の約束とか秘密の共有みたいな、幼馴染らしい甘酸っぱい思い出は全くない。坦々と遊んだだけ。
 親同士がそれほど仲良くなかったのと、性別も違うから段々疎遠になっていって、もうずっと顔を見れば挨拶する程度のご近所さんでしかなかった。
 付き合いが復活したのは、私が短大に入ってすぐ車を買ってからだ。奴は免許も持ってなかったくせに車好きでオイル交換などかってでてくれたので、一緒に車用品の店に出かけたりするようになった。これが三年ほど前のこと。
 でも私はその頃一生懸命大人になろうとしていた。年上の男……例えば社会人の彼氏との付き合いは友達に羨ましがられても、お酒も飲めない坊主頭で学ランの彼氏なんて全然自慢にならなかった。見た目でも格好よければまた違ったと思うけど、私の主観では奴はイケメンより変な顔に近くて、そんな奴を好きだなんて格好悪くて友達にも、もちろん本人にも言えなかった。

 大学生になった奴は急に雰囲気が変わった。髪を伸ばしたらだいぶ見られるようになった。サッカー選手の何とかに似てるって母が言うから、サッカー好きの友達にどんな奴か聞いた。そうしたら友達が格好良くて人気の選手だと言った。奴を変な顔だと思ってる私の目がおかしいのか? 何とかはサッカーが上手いから格好よく見えるだけで奴は相変わらず変な顔なのか? 分からないけど、どちらにしてももう今更奴を好きだとは言い出せなくなっていた。そして合コン、彼氏、そしてまたフリーになって現在に至る。

 私は王蟲のように緑の目を光らせるトラックに混じって夜の道を走り、海へ向かった。一応助手席に気を使い、聞こえるか聞こえないか位のボリュームで宗教曲のCDをリピートしてかけながら。

 暗いくねくね道を走って海岸近くの駐車場で車を止めた。サーファーだろうか、それとも恋人同士だろうか、数台の車がエンジンをかけたまま止まっていた。

「着いたの?」
 奴がいきなり普通の声で私に呼びかけた。こいつ、実は起きてやがったな。
「着いたよ。外に出る?」
「うん」
 二人で車の外に出ると、夜風はまだ少し冷たかった。長袖のシャツ1枚では少し寒い。
「あーあ。寒いなあー。彼氏と来てたら上着とか掛けてくれそうなもんだけど」
「文句があるなら彼氏誘えよ」
「いたらあんたなんかと来てないわよ」
「……寒いなら車戻ろうよ」
奴はぷいっと背中を向けると車に戻って歩き始めた。仕方なく、私も後を追いかけた。

「何かあったの?」
 前置きもなくそんなことを聞くから、思わず笑ってしまった。
「べっつにぃ」
「なんで俺、誘うの?」
「手下だから?」
 手下呼ばわりされたのに奴は言い返しもせず、しばらく無言だった。それから急にこちらを向いた。
「ねえ」
「何?」
「俺もう、こういうのやなんだけど」
「えっ?」
 動揺が声に出たかもしれない。それは夜中に呼び出されるってこと? それとも手下扱いされること?
「どういう意味?」
「俺って何なの?」
「―― 隣の犬」

 答えた途端に奴がぐいっと私を引き寄せようとした。反射的に抗った私を今度は押さえ込むようにして、奴がキスをした。
 ああ。半年ぶりのキスだ。初めてじゃないけど、初めての相手とのキスは思った以上にどきどきした。襲ってはみたものの、その後どうしていいか分からないといった様子の奴はキスをしたまま身動きもしない。
 私が唇を開くと、ぎこちない舌が入ってきた。本当はディープキスってそんなに好きじゃないけど、舌を受け入れるのは擬似セックスだ、そう考えた途端に体が震えた。

 車の中でそういう行為に及ぶ人達がいるってことは、知ってはいた。でもまさか自分がそちら側にいくとは思わなかった。
 私は運転席でシートを倒され、奴は助手席から身を乗り出すようにして私にかぶさって、私のTシャツをまくりあげた。脇腹を舐められたらくすぐったいのにぞくぞくした。ブラの紐をずらされて、露わにされた部分に唇が触れた瞬間に、喉の奥から声が出た。それでも時々いやとかだめとか口先ばかりの抵抗をしていたが、奴の指が肌に触れ、奴の目が全てを見ていると考えるだけで、ようやくそこへ辿りついた奴が驚くほど濡れた。決して奴が上手かったわけではないのに。
 もしかしたらただの衝動で止まれなくなっていたのかもしれない。でも奴が、どこからか薄くて小さいラミネートパックを取り出した時には、二人とも理由は何であれそれをしないで済ませるのはもう無理だった。
「こっち、きて」
 切羽詰った様子の奴に手首を引かれ、私は助手席に移った。奴は私をシートに寝かせて邪魔な布をはがした。私はもういやともだめとも言わなかった。そして奴が私の上に被さった。

「もっと持ってればよかった」
「うん」
 私は奴の腕に抱かれ、狭い助手席に二人で横になっていた。お互いに一応の満足はしていたが、奴が物足りなさを感じてくれたことはほんのりと嬉しかった。でも。
「ねえ、何か私に言うことないの?」
「ごちそうさま?」
 奴がそっけなくそんなふうに言うから、ぽろっと涙が出てしまった。
「嘘だよ、泣くなよ、ごめん」
 慌てた奴に抱きしめられたけど、喉に飲み込めない大きな塊がひっかかったみたいな気分だった。奴が早口で言い訳をした。
「好きだよ」
「何で先にそう言わないのよ?」
「お前はどうなんだよ」
「好きだよ、ずっと好きだったよ」
 奴は私が泣いたからなだめようと嘘をついてるんじゃないかとか、その場の勢いで抱いて情が移って好きな気分になってるだけなんじゃないかとか思い始めたら涙が止まらなかった。私はずっと好きだったのに。言えなかったけど好きだったのに。
「じゃあ何で他の男と付き合ったりしたんだよ。俺、お前とほぼ付き合ってるつもりだったのにいきなり『彼氏ができた』とか言われてすげーショックだったんだからな」
 「ほぼ付き合ってる」って何。びっくりして顔を上げた。そしたら眉をひそめた奴の顔が、なんだかすごく切なげで色っぽくて驚いた。
「だって、あんたは隣の犬なんだもの」
「ふざけんな。誰が犬だよ」
「隣の犬は食べちゃいけないって言われたんだもの」
「犬じゃなくて狼だよ、馬鹿。俺が食う方だよ」
 そう言いながら奴が何度も繰り返し私にキスをした。キスの合間に奴は腕の中の私に、私のわがままに文句を言ったり何年も前のことを責めたり、それから愛を囁いたりした。

「お前がはっきりしないから、もうごまかせないように既成事実作ってやろうって思ってた」
「勢いじゃなかったの?」
「勢いであんなもの持ってないだろ」
 そう言った奴が、暗がりでも分かるくらいに赤くなっていたので、私はどうやら本当に奴が、私に下心を抱いて来てくれたらしいことに気付いた。……ほんとに?
「ねえ、捨てないでね、私多分すごくウザくなるけど」
「お前こそ、もう浮気すんなよ」
 そう言いあった私達は、やがて自分達が本当に付き合うのだということに思い至って、なんだかものすごく照れくさくなって、顔を背けて服を身につけた。服を着てからお互い顔を見合わせて微笑みあった。

 そして ―― 私は隣に新しい彼氏を乗せ、払暁の道を家へ向け海を後にした。

end.(2009/05/17)

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