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フライディと私シリーズ番外編その18
080◆あいつが悪い(
(原稿用紙約37枚/11800字/24分)
 
【1】
 
 一年目の男子部員が女子の集団に囲まれている。
 ネクタイやポケットチーフの折り方、カフリンクスのセンスまでのこまごまとしたダメだしはひとつ間違えばいじめだが、女性たちにいじられる後輩はまんざらでもなさそうな顔だ。何か勘違いしているとしか思えないが。
「せめてこれが取れたら楽なんだけどな」
 そう言った後輩の手がネクタイの結び目にかかる。もしゆるめようとしたら注意しようと俺はその手の行方を見守った。
「上手に結べてるのにもったいないよ、もうちょっと我慢」
 笑いながらベーカーが後輩をたしなめた。
 後輩はかまってもらえて嬉しそうだ。人の関心を惹きたくて靴をかじる室内犬のようだ。のってやるベーカーも悪い。もっときっちりこの場がどういう場なのかを教えて態度を改めさせるか、そうでなければとりあわずに無視するべきなのだ。
 
 ああ、まったく。
 見ているといらいらする。
 俺にとってベーカーはそういう相手だ。
 やることなすこと意に添わないせいで、存在を無視することができない。うっとうしい。
 
 ここはテニス部のクラブハウス、毎年恒例の先輩のフェアウェル・パーティーが開かれている。在校生だけでなく来賓として卒業生も招かれるので、男子はスーツにタイ、女子もドレスでの出席が決められている。
 夏に向けて楽な服装に慣れた時期にドレスコード指定があまり嬉しくないのは分からなくもないが、これが王族も多く所属していたテニス部の伝統だ。そしてもちろん伝統には意味がある。服装を整えるのは、自分達が所属する集団とその構成員への敬意の表れだ。そういうことが分からない奴はここではなく、ワンシーズンごとに掲示板を見て集まってテニスをする普通のサークルに入ればいいのだ。
 俺は生きながらえたネクタイの結び目からベーカーへと視線を移した。
 紺にクリーム色の襟と袖がついたドレスは素のままではボリュームの乏しい中身にわざとらしくない程度の凹凸を加えていた。この席にいるほぼ全員があれの普段のテニスウェア姿を知っているので騙されることはないが、錯覚としてもうまく化けている。あれの盛装姿は王太子の結婚式以来だが、あの時も今日もドレスの選び方が上手い。入部当時に服装を巡って俺と対決した同じ相手とはとても思えなかった。あの頃のベーカーがよれたシャツとジーンズばかり着ていたのは何だったのかと言いたくなるくらいに洗練されている。
 俺は今でもあの時注意したことは後悔していない。誰かが言わなければきっとベーカーは無神経に薄汚い格好でクラブハウスに出入りをしていただろう。そんな部員が増えたらせっかく先輩方が培った伝統と品位が失われ後輩たちに引き継げなくなってしまう。
 一度失われてしまえば取り戻せないものがこの世には多くある。それが分からない、伝統の大切さより自分らしさを優先する奴を俺は軽蔑する。平民と呼ぶことをためらわない。
 ベーカーがあの頃すでに王子と付き合っていたということだけは今でも信じがたかった。まさかデートの時にあの格好では行かなかっただろうが、
――ック、聞いてる?」
「ああ」
「明日の一時だからな」
「明日?」
 おうむ返しに繰り返すと、友人のローガンは思い切り顔をしかめた。
「そう、明日の土曜日、ランチ。さっき『うん』って言っただろう?」
 そういえばさっき女の名前を聞いたような気がする。紹介したいとか何とか。後輩のネクタイを見張っていたので聞き流していたが、何か約束させられたことは思い出した。
「分かった。後で場所と時間を送ってくれ」
 やる気のない返事をしているところへ今度はベーカーと来賓女性との会話が聞こえてきた。
 耳にした内容にほんの少し眉をひそめる。注意しようかと一瞬考えて思い直した。ベーカーにそこまでしてやる義理はない。俺にとってベーカーは、あれの恋人であり俺の親戚であるチャールズ殿下とのつながりの延長線上にいるだけの存在で、ごくごくまれに、俺の他に誰もいない時に限って仕方なく手を貸す程度の関係にすぎない。
 注意をしたところで感謝されるわけでもない。必要であればチャールズ殿下があれを怒らせないようにうまくご説明なさるだろう。
 
 パーティーは、最後に卒業生代表の元部長から感謝の言葉を贈られてお開きになった。後輩がさっそくネクタイをゆるめるのを見たら頭が痛くなった。……まるでリードを離したとたんに池に飛び込む駄犬だ。だからお前はサーブのミスが多いんだ。
 この後まだ来賓の見送りとクラブハウスの後片付けが残っていた。ネクタイをゆるめた後輩を含む、用のない部員はクラブハウスから追い出され、早々に近くのクラブ(テニスのではなく踊れる方の)に移動した。
 来年度最高学年になる一つ上の先輩方が来賓を迎えの車に見送る間に、俺たちの代は居残ってざっと忘れ物や落し物がないか、壁や窓に汚れや破損がないかを確認する。
 クラブハウス内は飲酒禁止なのが幸いして汚れや破損も目立ったものはなかった。皿やグラス、カトラリーとリネンはケータリング業者が回収するからそのままで良い。後片付けはすぐに終わった。
「業者さん来るまで残ってるから、皆はもう行っていいよ?」
 ベーカーが残った他の同期たちに言った。
「一人で大丈夫なの?」
「大丈夫、そのまま戸締りして実家帰るよ」
「打ち上げは?」
「運転するから飲めないし」
 それを聞いたとたん、居残り班たちはアルコールの喉越しを想像したのか急にそわそわしだした。
 今日は卒業生に渡す記念品や花束などを車で運んだので俺も飲めないのだが……一緒に残ると言う気にはならなかった。料理を届けにきた業者が全員女性だったのは見ていた。ベーカーを一人で残しても心配ないだろう。
 同期の誰かがベーカーに訊いた。
「実家ってノーサンだっけ。遠いの?」
「二時間くらいかな」
「ならちょっとだけ顔出していけばいいのに」
「うちパン屋だから、お父さんとお母さん早く寝ちゃうんだよねぇ」
 周囲とのやりとりで、ベーカーについてまた知りたくもない情報がひとつ耳に届いてしまった。
 
 日付が変わってずいぶん経ってから、俺はコート脇の駐車場に歩いて戻ってきた。足取りに乱れはない。三軒目まで皆に付き合ったがアルコールは口にしていない。
 ゆえに、今見ているものは幻覚ではない。
 自分の車は確かにそこにあった。それはいい。問題は二台分向こうにぽつんと停まっているもう一台の車だ。実家に帰った筈のベーカーの車が、何故まだここにある。
 
 クラブハウスの表に回ると、正面の明かりがついているのが分かった。
「おい、ベーカー。いるのか」
 そう呼びながら、ガラスのドアを二度叩いた。中で誰かが動いた気配はない。
 いらいらしながら電子キーのボタンを叩きこむように押した。解除を知らせる電子音と同時に、握っていたハンドルが抵抗をやめる。
 ドアを押し開けて急いで周囲に目を走らせる。少し奥、女子ロッカールームに続く廊下のベンチに見覚えのある紺とクリーム色のコントラストが見えた。
 ネット際へのダッシュよりも素早く、上半身をベンチに横たえたベーカーに走り寄った。服装に乱れがないのを目視し、最悪の恐れをひとつ心の中で潰す。肩に手をかけ、シートに伏せられた顔を上に向けた。
「ベーカー!!」
「……リック?」
 灯りが眩しいのか、目を半分だけ開けたベーカーが俺の名前を呼んだ。ほっとしたと同時に頭に血が上って怒鳴りつけていた。
「馬鹿かお前はっ!? 解除キー知ってたら誰でも出入りできるんだぞ!」
 ベーカーはうるさそうに目をぎゅっとつぶった。感謝というものを知らない奴だ。
 目の周りは赤くのぼせている。肩を掴まれているのに抗うでもなく投げ出された手は力なくベンチに落ちたままだ。掴んだ肩が手の下で熱い。全身から不調のサインが出ている。
「熱か?」
「そう」
 ベーカーはかすれた声で答えた。
 
 言いたいことはまだ山のようにあったが、この様子を見てしまっては呑みこむしかない。
「王子に連絡を」
「公務、遠くで」
 その返事に「だから今週末ベーカーは実家に帰るのか」とひらめいたが、今この時には全く役に立たないものだった。
「寮はどこだ?」
「門限、過ぎた」
 舌打ちしたくなった。
「他に誰かいないのか」
 俺の声に苛立ちが混じったのをベーカーも聞き取ったようだ。一度息を吸ってから、今までの単語を並べたような返事ではなくちゃんとした文章を口にした。
「大丈夫、私はしばらく休んだら帰れるから」
 何を偉そうに。ベーカーのくせに。
 そもそもその頭の悪い『大丈夫』のせいでこんな深夜にここで寝込んでいるんだろうが。
 どうせベーカーのことだ。自分が残るといった手前、途中で具合が悪くなったからと誰かを呼んで立会を代わってもらうことができなかったのだろう。いや、倒れるまで具合が悪いことに気付いていなかった可能性もある。不器用というか、頑固というか、やっぱり頭が悪いんだろう。この前もトーナメントの試合数は参加者数-1になると聞いて驚いていたからな。
 今よりもっと具合が悪くなって意識を失ったり最悪死んでいたとしても、月曜の午後まで誰も気付かなかったかもしれない。窃盗目的の侵入者や、同じ部の仲間を貶めるつもりはないが酔った男子部員が朝までクラブハウスで仮眠しようと戻ってくる可能性だって皆無とはいえなかった。何もなかったとしても深夜にクラブハウスで二人きりでいたというだけでも……
 そこまで考えたところで自分の現在の立場に気付いておののいた。
 まずい。これは非常にまずい。
 誰かこれを託せる相手はいないか。
 必死に頭を働かせた。同じ部の仲間は駄目だ。あの酔っ払いたちに病人の世話は無理だ。動ける奴も何人かはいるだろうが、顔に出ないだけでひどく酔っている相手に預けたりして揃って寝込まれでもしたら目も当てられない。他に誰かいなかったか。
 救急病院に連れていっても金曜の夜だ、ただの熱程度では診察まではかなり待つはずだ。かといって両親が旅行中の自分の家に連れて帰るのは問題外だ。俺にはこの時間に突然訪ねていって病人を任せられるほど親しい女友達はいない。男友達ならいるが、もちろんそれは何の解決にもならない。
 ベーカーの友達が誰でどこに住んでいるかなんて知らない。同じ部に所属しているといっても特に親しくはない。先程から俺の提案がことごとく拒まれたのがいい例だ。しかしこれはこれでもチャールズ王子の恋人だ。このまま見捨てるわけにはいかないが、目立つ場所に連れていくのもまた問題だ。
 こうしている間にも二人きりでいる時間がどんどん長くなっていく。 
 
 俺まで熱が出そうな勢いで考えを巡らせていたところへ、今晩二度目のひらめきが降りてきた。
 
 そんなに帰りたいなら、帰してしまえ。
 
 実家までは二時間だと言っていた。俺はこれの実家が隣国のどの街にあるのか知っている。店の上が自宅だというのも耳にしたことがあった。部でとりまとめた寄付に実家の店で振り出した小切手を処理して礼状を出していので、ひねりのない店の名前も覚えていた。
 夜のこの時間、渋滞箇所はないだろう。二時間より短い時間で着くはずだ。
 
 俺は心を決め、ベーカーの腕を掴んで体を引き起こした。そのまま背中に腕を回し、床にあったバッグを掴んだ手を膝の下に差し入れた。
「家に帰してやる」
「そんな、悪い」
 そう訴えるかぼそい声にいつもの力はない。俺はベーカーの拒絶を切って捨てた。
「これ以上俺の時間を無駄にするな」
 しばらく沈黙が続いた。やがて小さく返事がかえってきた。
「……わかった」
 その瞬間、俺の頬が不随意に痙攣した。
 言い負かした。
 ベーカーに勝った。
 勝った。
 倒れた敵をさらに石で打つほど俺は意地悪くない。だからあえて言葉にはしない。
 しかし不思議なことにこの瞬間から俺は、隣国までこれを送っていくことをさほど負担に感じなくなっていた。
 
 自分の車の助手席に抱いてきた方の荷物を、後部座席には手に持っていた方の荷物を下ろした。ベーカーに車に荷物が残っていないか訊いてから、念のためドアが全てロックされていることを確認して自分の車に戻ると、ベーカーは助手席のシートに頬をつけて顔を窓側に向け、俺に背中を向けて目を閉じていた。
 ドレスが寝乱れるデザインでないことはお互いにとっての救いだ。ベーカーの尖った肩をフック代わりに脱いだスーツの上着をかけると、寒いのか落ちないようにかベーカーが両手でそれを抱えた。左手の指輪が街灯の光を反射する。
 声をかけずに助手席のシートを倒すと、ベーカーがかすれた声で何かつぶやいた。たぶん訊き返すほどの内容ではない。
 
 途中、深夜営業のドラッグストアで解熱剤を買い、ベーカーの口に放り込むようにして飲ませた。
 ペースの速い深夜の流れのおかげで高速の出口までは一時間かからなかった。車がスピードを落としたのを感じてか、助手席で寝ていたベーカーが目を覚ました。
「リック、ありがとう。熱下がってきた」
 さっきまでのか細い声ではない、いつもと同じはっきりとした喋り方だった。病人を揺り起こさずに済んで少しほっとした。
「案内できるか?」
「うん、高速降りたら左。しばらくまっすぐ」
 ベーカーがシートを起こしながらふざけたことをぬかした。
「私が運転しようか?」
「そんなすぐ効くような強い薬飲んだ奴が運転する車に乗りたくない」
 助手席でベーカーが小さな笑い声をあげた。不愉快だ。他人に何か言われたら笑い声ではなく言葉で答えるべきだ。
 ベーカーが一人で楽しそうなのが癇に障ったので、俺は昨夜の会のことを思い出して注意することにした。
「昨日ドレス勧められていたな」
「うん? お友達のブランドを着てみないかって誘われたけど」
「意味分かってるのか?」
「それは、分かってるよ」
「気軽に受けるなよ」
 ベーカーの写真がチャールズ王子のガールフレンドというキャプションつきで掲載されてからほぼ一年経つ。チャールズ王子の弟エドワード王子は今年中に、兄ベネディクト王子は来年結婚される。王太子の結婚を待っていたように続く慶事に、最も格式の高い王太子の結婚式にも招かれたベーカーが招かれると予想するのはたやすい。このお人好しを言いくるめてドレスを贈り、それを着た姿がメディアに流れるように、ブランドの無料宣伝塔として利用するのもたやすいだろう。
「うーん」
 ベーカーの返事は、珍しく歯切れが悪かった。
――いくらタダにしてやるって言われても」
「ちょっと、また失礼なこと言おうとしてない?!」
 俺の言葉を遮った声には力がこもっていた。どうやら本当に具合が良くなってきたらしい。野生動物並みの回復力だ。
「私そんなケチケチするつもりじゃないよ! そうじゃなくて、うちも商売してるから分かるの。口コミで宣伝になればっていう気持ちを頭から断れないし、営業しようとする熱意は買ってあげたいから」
「俺には全然分からないね」
「ふん」
 へそを曲げたベーカーが返事とも独り言ともつかない言葉を残して口を結んだ。車内を沈黙が支配する。
 俺には商売人の気持ちなど全く分からないし興味もない。ただ、自分の家族や親戚の周りに俺たちを利用しようと手ぐすねを引く輩が多くいることを経験的に知っているだけだ。
 知らないなら教えてやろうと親切心を起こしたばかりに、また不毛な言い争いをしてしまった。しかし、くすくす笑われていたさっきよりこの冷ややかな空気の今の方が快適だ。
 
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