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049◆魔法使いの弟子リターンズ(直接ジャンプ  シリーズ目次
 
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【 3 】
 
 その晩遅く。
 鈴木はもう一時間以上も送ろうかどうか悩んでは消していたメールをとうとう送信した。
『今日はお疲れさま』
 送信ボタンを押して、アニメーションの封筒が飛んでいくのを見守りながら、鈴木は考えた。祥子はこのメールにすぐに気付いてくれるだろうか。すぐ反応があるだろうか。
 思わず溜息が出た。これじゃあまるで片思いみたいだ。付き合ってるのに。彼女なのに。愛されてるのに(多分)。
 
 手の中で携帯電話が身震いをした。あわてて着信ボタンを押すと、心地よい声がスピーカーから響いた。
「コーキくん?」
 嬉しいのとほっとしたので、床にあぐらをかいていた鈴木は電話を耳にあてたまま仰向けに転がってうーんと伸びをしながら彼女の名前を呼んだ。
「祥子さん」
「コーキくんって人気あるのねぇ」
 いきなり笑いを含んだ声で祥子にそう言われて、え、と思わず声が出た。
「いつも爽やかね、って言われてたわよ。ちょっと嬉しかった。ふふふ、秘密恋愛の醍醐味ね」
「いじりやすいだけだよ。笑われてたし」
「それはコーキ君が可愛いからよ」
 まるで子ども扱いだ。それ自体はいつものことだが、何故か今夜は胸が痛かった。
「祥子さん」
 あの後まっすぐ帰ったの、と訊くつもりで名前を呼んだ。が、また鈴木の口は違うことを言った。
「どうだった? 派遣一日目は」
「うん、やっぱり慣れたところは働きやすいわ。周りの方もほとんど変わってなかったし」
 祥子の派遣契約は短期の仕事が主なので、よく職場が変わる。人当たりはいいし仕事もできるからどこへいっても大きな苦労はないようだが、やはり働きやすい職場とそうでない職場があるらしい。フロアの女子社員全員が一つの会議室でほとんど会話もなく昼食をとるという会社や、祥子だけが忙しくて男性社員は朝から新聞を読んでいるような会社は、派遣期間が終わると祥子が元気になるので辛かったんだなと分かる。
 それでも自分は親元に住んでいるから仕事を選ぶ余裕があるのだと祥子は言うが、鈴木は自分にもうちょっと甲斐性があればと思う。
 祥子と結婚しても今より苦労させることが分かっているだけに、鈴木はなかなか将来の話ができずにいた。遠回しにはそういう意思を伝えているつもりだが、実は祥子にさりげなくかわされているような気がしているのだ。祥子がマイペースなのはいつものことだから、かわしてるわけではなく素でやっている可能性もあるのだが……
 
「あの『システム監査』って?」
「去年リプレースした業務システムの監査ですって」
 鈴木の無言に、祥子が噛んで含めるような説明を追加した。
「システム開発ってお金がかかるでしょう? それに開発費って内訳がはっきりしないじゃない? だから、外部の監査機関に頼んで開発が適切に行われたかの検証をしてもらうのよ。旧システムに比べて操作性やパフォーマンスが改善しているかどうかとか、使ったお金に見合った業務改善ができているかをチェックしてもらうの。今回の評価の結果によっては、海外の現地法人向けの英語版を検討するらしいわよ」
 祥子はすらすらと答えたが、鈴木の胸は何故かちくんと痛んだ。祥子の言葉は祥子自身のものなのか、誰かの受け売りなのか――何故かそう思ってしまった。
「竜神さんって」
「うん?」
 先を促す相槌に、鈴木の口は今日三度目の裏切りを果たした。
「すごい人みたいだね」
 
 また言えなかった。どんな話をしたのか、あの後でどこかへ行ったのか、一言そう訊くだけでいいのに。
 
「そうねぇ。すごく仕事はできる人だったけど」
「そんな人と一緒に働いてた祥子さんもすごい人だったんだ」
「ううん、私は全然よ」
 祥子は謙遜していたが、エレベーターホールで見た二人の姿を鈴木は思い出していた。元上司と元部下と言っていたが、あの時の二人は同じ空気をまとっていた。お似合い、なんて口が裂けても言いたくない言葉だったが。
 
 結局訊きたいことを口にできないまま、次の日も会社だしと適当な時間で電話を切ってその日は終わった。
 
 次の日からまた祥子は一年前と同じように鈴木の背後に座り、一定のペースでキーボードを叩き続けた。鈴木は席にいる時は背後の存在を意識しながら、これも一年前と同じように一日の半分以上は営業活動のため外出をした。外出と帰社の時にかけられる一言に幸せを噛みしめた。
 あの祥子の元上司、竜神は他の監査人と一緒に小会議室にこもって監査を続けているそうだ。昼に会議室から出てきて、たいていシステム部の大野課長と昼食をとりに行く。借り物の書類に飲み物をこぼすといけないからと、三時には会議室から出てきてシステム部の空き机で休憩するらしい。これは祥子からではなく高野からの情報だった。他にも女子社員が彼らにもお茶を出すかどうか(期待を込めて)大野に確認したが、本人達にコーヒーを買うからと辞退されてがっかりしたとか、竜神さんになら女子社員達が私物として常備しているコーヒーを出すのにと悔しがってるとか何とか。鈴木は軽い相槌を打って高野の話を聞き流した。
 
 鈴木が三時にオフィスにいてお茶を飲む機会は少なかったが、その日はたまたま顧客との約束がキャンセルになって時間が空いたので一度帰社した。
「お帰りなさい」
 祥子の声に迎えられ、鈴木の肩が軽くなった。祥子の机の上にお気に入りの紙包装のキャンディを見つけて、鈴木は小さく微笑んだ。咳が出やすいからと祥子はいつもキャンディを持ち歩いている。車に乗って祥子がまずすることはバッグから取り出したキャンディを小物入れにセットすることだ。
 
「三島さん、そのキャンディもらっていいですか?」
 声をかけた鈴木に祥子が一瞬にやりと笑いかけ、すぐ『派遣の三島さん』らしいとりすました笑顔に改めてから頷いた。
「いま何味ですか?」
「パイナップル」
 祥子は鈴木の手に黄色いキャンディを一つ落とし、自分の手にも同じキャンディを落とした。最近発売されたミックス味のこのキャンディで、祥子の目当ては二個しか入っていないオレンジだ。祥子と外出する時は他の味の消費をいつも鈴木が手伝っている。そんな二人だけに通じる秘密をオフィスで共有することで、祥子の言っていた『秘密恋愛の醍醐味』というのが鈴木にも少し分かる気がした。
 ありていに言えば、すごく楽しい。
 
「それ何? そんなの出たんだ?」
 二人がキャンディを口にいれたとたん、背後からバリトンの声が響いた。
 
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