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フライディと私シリーズ番外編その9
047◆『理想の両親』と現実
(現代・外国・20代男×10代女/原稿用紙8枚)
 
 
 いつもいつも自分を優先して欲しいとまで言うつもりはなくても、誰だって自分が愛されているという実感は欲しい。例えばホームシアターで仲良く映画を見ている時にふと、それを確かめたくなることもあるかもしれない。
 チップがクッションを抱えてラグに直接座ったキャットの背中にタイミングを計って呼びかけたのには、ささやかな悪戯心もあったが、実のところキャットだけが段々テレビににじり寄っていって自分がソファに取り残されているという事実に少し傷ついていたせいもあった。
「ねえロビン、ちょっとだけでいいから僕を見て」
 
 キャットは顔を向けるどころか返事もしなかった。
 
 ちょうどここから盛り上がるシーンなのは、キャットだけでなくチップもよく知っていた。この映画はキャットのお気に入りでもう何度となく見ているのだ。
 ――だからこそチップは、今この時に、ほんのちょっとだけでも自分を優先してもらえはしないものかと思ったのだが。
 
「ロビン」
「やだ」
 やっともらえた返事はにべもなかった。しかしこれくらいでめげるようではキャットの恋人は務まらない。
「君を愛する恋人の心からの笑顔より俳優がカメラに向けた空ろな笑顔の方が大事なのか? そんなのただのディスクに刻まれたデータじゃないか。停めておけばいいだろう?」
 チップは違う切り口から攻めてみたが、キャットは前を向いたまま冷たい言葉を後ろに投げた。
「なんでそんなわがままいうの? 私は今映画を見てるの。できれば口もききたくないの。もう邪魔しないで。これ以上話しかけるなら別の部屋に行くから」
 
 ここまでつれなくされてもチップはまだあきらめなかった。ソファからキャットの後ろに移動し、恋人が膝に抱えたクッションごと自分の腕の中に収めた。そしてキャットの耳元に口を寄せた。
「君はジャックとリーにめいっぱい愛されて育ったから、僕にいくら愛されても当たり前だと思ってるんだ」
「そんなことないよっ」
 キャットは勢いよく振り向き、あやうくチップに頭突きをくらわせそうになった。
「あるさ。君は世間で言う『理想の恋人』と『理想の両親』を独り占めしてるんだよ、ラッキー・ガール」
 チップはそう言いながら素早くキャットの目の上にキスをした。キャットはそのキスにほとんど注意を払わず、口を尖らせた。
「私のお父さんとお母さんはちっとも『理想の両親』じゃないよ。小さい頃は私なんかいなくてもいいんだってよく思ってたもの」
 
 とうとうキャットの関心を取り戻したチップは頬が緩みそうなのを抑え、哀れっぽい作り声を出した。
「一人っ子は贅沢だな。『思った』だけじゃなくて実際に『経験した』ことのある僕によくそんなことが言えるな。誰も見つけてくれないかくれんぼなんて、君はしたことないだろう?」
 キャットはチップの思惑通り映画のことを忘れ――もちろんだ、チップは彼女の負けず嫌いを良く知っている――更に言いつのった。
「だって本当のことだもん。お父さんは私よりパンの方が大事だし、お母さんは間違いなく私よりお父さんの方が好きだね」
「一人っ子っていうのはいつも自分だけが愛されると思ってるから……」
 言いかけたチップを遮ってキャットが熱を込めて話しはじめた。
 
「あのね、まずお父さんね。確かにすごくいいお父さんだと思うし仕事熱心で尊敬もしてるよ。でもフライディはパンのことを考えてる時のお父さんを知らないでしょ?
 お父さんって食事の途中でもパンのこと考え始めると何聞いても『うん』しか言わなくなってそのうち手が止まっちゃうのね。そうするとお母さんはお父さんの横に椅子持って移動して食べさせてあげるんだよ。一口ずつ。そんなの考えられる? 一人前の大人がだよ? 私はそれを見ながら食事するんだよ?」 
 チップはその光景を想像して噴きだしそうになったがなんとかこらえた。
「着替えてる途中に考え事はじめると、お父さんは寝室用の部屋履きでお店に行こうとしたりもしちゃうの。それをお母さんが追いかけて靴に履き替えさせるんだよ。
 でもなによりもお父さんのいけないと思うところはね」
 家族の秘密を聞くことにほんの少し罪悪感をおぼえつつも、チップは胸を躍らせて続きを待った。 
「お母さんがそういうことしてくれるの全部なんとも感じてないことなの。そういう時は当たり前みたいな顔してお母さんにありがとう言うのも忘れてるんだよ。多分ご飯食べたことも覚えてないんじゃないかな。お父さんて、もしお母さんがいなかったら多分すぐ死んじゃうと思う」 
「お母さんに会うまで大丈夫だったんだから、多分これからも大丈夫じゃないかな」
 そう言いながらチップは自分に言い聞かせていた。あまり詳細に想像しないよう気をつけなくてはいけない。ベーカー家の廊下や、あのダイニングを思い出すのは危険だ。例えばあの黒檀のテーブル――おっと。
 
 そんなチップの努力を知ってか知らずか、キャットの話は続いた。 
「お父さんがそんなだからお母さんはいつもお父さんのお世話ばっかりしてるんだよ。私のことはナニーに任せてたくせに、お父さんのことお母さんがしてるっておかしくない? 普通はお母さんってもっと子どものこと大事にするものじゃない? だいたいどんなにお世話してもお父さんは全然気付いてないんだよ? でもお母さんって私にはすごく厳しいくせに、お父さんには絶対文句とかも言わないの。
 私が『お父さんはお母さんよりパンの方を愛してるんじゃないの』って言ってもね、お母さんは何だかふふんって感じで『何よりも妻を愛してるなんてつまらない男を私が好きになると思うの』って。私ぜんぜん分からないよ。なんでそんなことでいばるの? しかも自分の娘にだよ?
 二人は一緒にいて幸せみたいだけど、あの二人の子どもとして育つのはそれほど幸せじゃなかったよ。普通子どもって、もっと愛されて育つものだと思うんだ」 
 そこでチップの我慢は臨界点を越えた。
 
 キャットは笑い転げるチップを不満げに見やり、こう話を締めくくった。
 
「最近になって気付いたんだ。お父さんがやりたいこと何でもやっていいって私に言うのは、お父さん自身がわがままだからだって。自分がやりたいことやるから、私のことも止めないだけなんだって。お母さんは、本当は私に色々言いたい時でもただお父さんに反対するのが嫌で、私に好きなようにやらせてるだけなんだって。どう? これでも『理想の両親』って言える?」
 
 チップがぴたりと笑い止んだ。そして真面目な顔でキャットに告げた。 
「『理想の両親』かどうかはともかく、君は確かにあの二人の娘だ。僕をべたべたに甘やかすところはお母さん似で、僕を平気で踏みつ……」
 
 キャットにクッションで窒息させられそうになったチップは、安全上の理由から続きを言うのは控えることにした――少なくとも今日のところは。
 
end.(2011/02/13)
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