クリスマスイブになった。みどりは臨時アルバイトを雇って、ポインセチアやミニクリスマスツリーといった今日までに売り切りたい商品と、アレンジメントや花束を、次から次へと訪れる客に売って閉店まで忙しく過ごした。
毎年忙しい日ではあるがみどりにとっては幸せな日だ。恋人のためでも、家族のためでも、自分だけで祝うためでも、特別な日に花を用意する人々の心持ちがみどりは好きだった。
幼い頃、まだ実家が花屋をやっていた頃もクリスマスイブは忙しい日だった。家族でグラスを上げてさあ乾杯という時になって、もう閉店した店のガラス戸を開けてくれと叩く客が訪れてがっかりした年もあった。父はそのままグラスを下ろして店に出てしまい、母はすねるみどりを「いい子にしてないとサンタさんがプレゼント持ってきてくれないよ」と脅かした。
べそをかいて寝た翌朝、まだ明け方に、枕元にプレゼントを見つけて隣で寝ていた母を起こしてしまったのは悪かったな、と思い出してみどりは微笑んだ。
今晩は何人のサンタがプレゼントを配るのだろう。赤い薔薇の花束を買った男性には、スーツのフラワーホール(衿穴)に同じ薔薇を一輪サービスした。あの男性のプロポーズはうまくいったんだろうか。
店先に誰かがやってきた気配に、みどりは笑顔で振り向いた。
「いらっしゃいませ」
「ただいま」
植田の笑顔を見て、みどりの笑顔が更に深くなった。
「おかえりなさい」
家族と離れて一人で暮らすようになってからも、みどりは家に帰れば誰もいない部屋に向かってただいまと声をかけていた。でも一人暮らしでは誰かのただいまに答えることはできないのだと、結婚してから気づいた。
近くに住む母とみどりがお互いの家を行き来してもただいまとは言わなかったし、おかえりなさいとも言わなかった。
「おかえりなさい」は、一緒に暮らす誰かを迎えるための、特別な言葉だ。みどりはその言葉を口にするたび、植田と結婚した幸せを噛みしめる。
「まだ閉めてないの?」
植田が時計を確認するように見上げた。いつもの閉店時間は過ぎていた。店の前に並んでいた花桶は店内に引き上げてあるが、まだ表はシャッターが開いたままで店先の灯りも落していなかった。
「あと一人、花束を予約した人が来てないの。もうちょっと待ってみる」
「肉を焼くのに時間がかかるからちょうどいい。先に戻って支度をしておくよ」
植田はいつかのみどりと違ってがっかりしたり、すねたりはしなかった。大人だから当然といえば当然だが、みどりは幸せな気持ちで植田の後姿を見送った。
それからまだもう少しだけ待ってから、やっと最後の客が訪れた。遅れた詫びと感謝の言葉に笑顔で答えて、みどりは店を閉めて自宅へ戻った。開けたドアのすきまから肉の焼ける美味しそうな匂いが流れ出して、みどりはにっこりした。
クリスマスディナーは植田が買ってきた惣菜のパテとサラダ、それにオーブンで焼くだけのローストチキンと、付き合いで頼んだクリスマスケーキだった。二人とも仕事をした後なのであまり手の込んだことはしなかったが、それだけでもクリスマスらしい気分になった。
食事の後でプレゼントを交換するかたちになった。みどりから植田へのプレゼントはもちろん内緒で編んだセーターだった。大柄な植田は国内メーカーだとサイズがないので海外メーカーの服を着ることが多いが、肩で合わせると袖が長くて困ると以前にこぼしていた。そこでみどりはこっそり寝ている植田の腕をメジャーで測ってちょうどいい袖のセーターを編んだのだ。出来上がったセーターは何故か左右の袖の長さがちょっと違ってしまったが、植田はぴったりだと喜んでくれた。
「これはみどりへ」
植田がみどりに平たい箱を差し出した。リボンを外して包装紙をはがし、みどりは箱を開けた。
「パジャマ?」
「うん。取引先が開発した新素材でね、着心地が良いらしい。この素材を生産する工程で、うちの原料を使ってくれているんだ」
見た目は何ということもないパジャマだった。生成り色のシャツ型の上着とズボンのセットだ。広げてみたみどりはにっこりした。
「ありがとう。嬉しい」
「何にしようか迷ったんだけど、みどりが気に入りそうなものがどうしても思いつかなくて。手作りでもないし」
「ううん、これを作るのを誠さんも手伝っているんでしょう。それに私のために、わざわざ用意してくれたのが嬉しい」
みどりは幸せそうに、パジャマに刺繍された自分の名前を指でなぞった。
「素敵なプレゼントをありがとう」
小さな声でそう続けたみどりを、植田がそっと抱きしめた。
「気に入ってもらえた?」
「うん。ずっと欲しかったの」
みどりは目を閉じて心の中でつぶやいた。
幸せなクリスマスをありがとう。おかえりなさいを言わせてくれてありがとう。家族になってくれてありがとう。
――いちばんの贈り物をありがとう。
end.(2010/10/25)
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