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037◆ツーリングを少々(直接ジャンプ   I II III IV ) シリーズ目次
 
【 III 】(直接ジャンプ 11. 12. 13. 14. 15. 16.
 
11.
(大里さん……うまいんだ)
 エンジンの音に追い立てられるようにすぐシフトアップしてしまう珠緒と違い、大里のシフトアップは落ち着いてスムースだった。信号で止まった大里がヘルメットのシールドを上げて珠緒に呼びかけた。
「たまちゃん、ちゃんと乗ってるー?」
「乗ってますよ?」
「タンデム慣れてるの?」
「いっ、いえっ。全然。教官にも言われましたけど、二度目です」
「全然荷重が移動しないから乗ってないかと思った」
 信号が変わって大里はいったんシールドを降ろして前を向いたが、次の信号でまた上げた。
「後ろに人乗せるとよく変速ショックで後ろから頭突きくらうんだけど、たまちゃんはほんと乗せやすい」
「ありがとうございます」
「もうすぐ山道入るから。楽しみにしてな」
「えっ?」
 また大里が前を向いた。ウインカーを出して左の細い道に入っていった。前後に車の姿がなくなると、いきなり大里がアクセルを開いた。ぽんぽんとシフトアップし、コーナー手前でがんがんと勢いよくシフトを落とした。珠緒はエンジンの振動を全身で感じた。
(ムリ、絶対ムリ!)
 
12.
 珠緒の内心の叫びは届かず、大里はそのスピードのままコーナーに入っていった。珠緒にはありえない進入速度だが大里はなんなくコーナーを抜け出口に向かう。傾いた車体が真っ直ぐになるところでまたアクセルを開く。
(私のバイクーッ!)
 
 山頂近くに見晴台があった。大里がウィンカーを出してするすると駐車場に乗り入れ、エンジンを切ってヘルメットを脱いだ。
「結構走るなぁ。いい道だっただろ?」
 大里は楽しそうに言った。後ろの珠緒は返事をしなかった。大里が振り向いた。
「怖かった?」
「怖かったは怖かったです。私じゃ絶対曲がれない速度で曲がるから」
 あははは、と声を上げて大里が笑った。
「……でもくやしかったです。私のバイクなのに、大里さんの方がうまくて」
「ごめん。ちょっといいとこ見せちゃったな」
 大里が全然すまなそうでもなく謝り、すぐに男の子の顔になった。
「馴らしだから3千くらいまでしか回してないけど、今のミドルクラスって性能いいな」
「そうですか?」
「俺も何か鍵差したままでも盗まれないような奴、足代わりに買おうかな。今住んでるところあんまり治安が良くなくて、ずっとバイク実家に置きっぱなしなんだよね」
「大里さんは、いつからバイク乗ってたんですか?」
「高校の時から。そろそろ10年か」
 
13.
 珠緒は思わず大きなためいきをついた。
「途中でバイク暦20年以上の人に会ったんです。私よりバイク暦が短い人はまずいないと思いますけど、皆さん10年20年乗ってるんですよね」
「これからだよ、たまちゃん」
大里はそう言って慰めてくれたが、珠緒はまだしおれていた。大里がバン、と珠緒の背中を叩いた。
「元気出せよ。最初聞いた時はちょっと意外だったけど、結構さまになってたし。バイクなんて2、3年で降りちゃう奴がほとんどなんだから、すぐたまちゃんだって追いつくって」
「バイク乗ってる方って皆さん前向きですよね」
「バイクにはバックギアがないからさ」
――そうですね! そうですよね!」
 大里の方に身を乗り出した珠緒に、大里が笑いながら手を横に振って見せた。
「冗談だよ。笑ってよ。それに最近のビッグバイクにはバックギアついてるし」
「そうなんですか」
 また真剣に頷く珠緒を見て大里が笑い出した。
「たまちゃん一生懸命で面白いなあ」
 
 横の自販機でペットボトルのお茶を買って、ベンチに座って飲みながら珠緒は大里に言った。
「途中であった人にも似たようなこと言われました。でも私は早く一生懸命とか言われないようになりたいです。もっと余裕で乗ってる感じになりたいです」
「ある程度緊張してた方が事故らなくていいよ。気がゆるんだ頃に気をつけた方がいいよ。ツーリングで事故起こすのもたいてい行った先じゃなくて、あともうちょっとで家ってとこだから」
 大里はフォローしたが、珠緒の気持ちは晴れなかった。サービスエリアで会った女性も大里も、本当に楽しそうに軽々と乗りこなしていた。自分が乗っている姿はきっと楽しそうには見えないだろうと、珠緒は悲しく思った。
 
14.
 見晴台から眺める海は穏やかだったが、空の端には薄黒い雲が現れていた。珠緒に大雨と虹をもたらした雨雲がここにもやってくるらしい。
「大里さんはバイクでどこまで行ったことあります?」
「一番長いのは日本一周」
「えー、凄い!」
「たまちゃんもできるよ」
「そうですか?」
「うん。気合があれば体力はそれほど要らないから。何がつらかったって、途中で『フェリー乗り場はこちら』って看板が出るのが一番つらかったな」
 珠緒が声を立てて笑った。大里が続けた。
「『長距離走者の孤独』って本があって。中身は読んだことないんだけど」
「アラン・シリトーですね」
「知ってる?」
「中学の時、図書委員だったんです。黒い表紙の文庫本」
「そうそう、それ」
大里が嬉しそうに答えて続けた。
「よく走りながらあの題名をよく思い出した。何で俺は馬鹿みたいにこんなとこ一人で走ってるんだろうって思いながら、でも走り続けないとそこでもう終わっちゃうんだよね」
 
15.
 今、大里さんは私と同じ言葉で喋っている。珠緒は不意にそう思った。珠緒も何でこんなことしてるんだろうと何度も自問しながら大雨の中を走ってきた。
 本当につらくて馬鹿みたいだった、でも馬鹿なことをしている自分が本当に楽しかった。
 珠緒はあの本に本当は何が書いてあるのか知っていたけれど、それでも大里があのタイトルに感じたことの意味は心に響いた。そんなことを言うとまた笑われそうだから口には出さなかったが。 
「たまちゃんは何で突然バイク乗ろうと思ったの?」
 大里にそう聞かれ、珠緒は飲み会の席では言わなかった理由を話してみようという気になった。
「長いわりにたいした話じゃないんですけどいいですか?」
「うん」
「大学の時、ちょっといいなと思ってた同級生の男の子がバイク乗ってたんです。その子に『今度後ろに乗せてあげる』って言われてたんですけど、いつ誘われるのかなって思ってる間に、女の先輩と付き合い始めたんですよ」
「狭い世界ではよくある話だ」
「後で聞いたらその先輩は男の子の家に押しかけたんですって。『あいつ岡本のこと好きだったのにな』って他の男の子に聞かされて、好きな子がいても押しかけられたら押し切られちゃうんだとか、その子が私のこと軽く無視するようになったのとか、なんだか納得いかなくてずっともやもやしてたんです」
「しょうがない男だな。情けない」
 大里が笑った。珠緒は大里の顔を見て訊いた。
「大里さんだったらどうしたと思います?」
 
16.
「うーん。嫌いじゃなければ悪い気はしないだろうし、男として恥かかせちゃいけないみたいな気にもなるし、葛藤はするだろうね。他の子をこれから口説くより自分のこと好きって言ってくれる子を好きになる方が楽かなとか考えちゃったら、弱ってる時だと俺もふらっといっちゃうかも。男って結構ずるいんだよ」
 数年前の珠緒ならきっと大里の正直な返事に傷ついていただろう。でも珠緒は笑った。
「女もですよ」
 大里が意外そうな顔をしたが、珠緒は話を続けた。
「そしてここで突然話が変わるんですけど、この前ある人から付き合ってくれって言われたんです」
「えっ、そうくる?」
「ええ。その時私も思ったんです。好きって言ってくれる人がいるなら付き合っちゃおうかなって。相手の学歴とか会社とか結婚向きだし、確かお兄さんいるって言ってたな……なぁんて思ったら、ずっともやもやしてたものが急にぱあっと晴れたみたいになって、『そうだ、バイク乗ろう』って」
 
 大里が珠緒の隣で噴きだした。
「なんだよそれっ。全然つながってないだろ。どっかで聞いたようなコピーだし」
「いえ、ですからっ」
 珠緒も笑いながら言い訳をしようとしたが、大里に遮られた。
「分かるよ、何となく分かるけど、そこで普通は『バイク乗ろう』にはならないだろう」
「自分でもそう思います」
「それで付き合う話は?」
「お断りしました。もう私、バイクのことで頭がいっぱいになっちゃって」
 笑い続ける大里と一緒に珠緒も笑った。トラウマというほど大げさなものではないが時々ちくりとするトゲのように、あの時乗れなかったバイクの後ろに、何もしなかった自分に、何となくずっと心残りがあった。圧縮された混合気のような珠緒のもやもやにあのとき火花が飛んで『後ろに乗せてもらうんじゃなくて、前に乗ればいいんだ』とひらめいた。その爆発が珠緒を前に進ませた。
 
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