助走のおわりシリーズ第一作
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(現代・日本・20代男×20代女/原稿用紙18枚)※シリーズ化しました 2010/02/07
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【 I 】 (直接ジャンプ 1. 2. 3.
 
プロローグ
「朝子、暇か?」
 そんな電話がかかってきたのは、夕飯は何にしようか考え始めた土曜日の日暮れ時だった。
「うん」
「おしゃれなフレンチとか食う気ある?」
「えーと、給料前なので値段による」
「おごる」
「行くっ! 行かせて頂きます!」
 
1.
 誘ってきた達也は学生時代からの男友達だ。誘われれば二人でも出かける。結婚する友達が増えるにつれ週末に誘ってくれる友達は性別に関わらず貴重になってきたし、デートのような華やいだ気分にはならずともやっぱり男と二人連れというのはどこかうきうきした気分になる。そういう意味でも貴重な人材だ。
 よそいきの普段着にするかよそいきのよそいきにするかちょっと悩んでから、おしゃれなフレンチというからにはそれなりの格好がいいだろうと今シーズン買ったばかりのワンピースを選んだ。もう2、3度は着てるけどまだクリーニングには出してないというステータスの服だ。
 出かけるならマニキュアを落とさなければ良かった、そう思いながらもこういうときのための即乾性マニキュアを軽く塗り、この前のボーナスで買ったファッションリングを右手の薬指にはめて、鏡の前で仕上がりを確かめた。
 鏡の中で反転した私は、よく婚約発表会見で女性がする、左手の薬指のエンゲージリングを皆にかざす例のポーズをとっていた。ははは、こんなしょぼい石の指輪を婚約指輪にするわけないか。でも指輪をするとついこのポーズをとってしまう女性は多いと思う。さすがにギャグにするには痛々しい歳になりつつあるので(周囲に迷惑をかけないよう)人前ではもうやらないけど、この歳まで働いてきたおかげで好きな指輪は男に貰わなくても自分で買えるし、誰に迷惑がかかるわけでもないんだから自分の部屋でくらいは好きにポーズを決めてもいいよね。鏡の中の自分に笑いかけて、マニキュアに傷をつけないようそっとバッグを腕にかけた。
 
 そんな自立したアタシ格好いいでしょを含めた少しうきうきしたお出かけ気分は、待ち合わせの達也のしょんぼりした笑顔を見た途端に消えた。
「あれ、なんかあったんだ」
 問いかけではなく断定になった。
「うん」
 きっとおしゃれなフレンチの誘いは誰かの代わりだろうと電話の時から思ってはいたが、この返事で今日の食事はただの代打じゃなくて慰め役込みだと確定した。
「まあご飯食べよう。お腹が一杯になると人間あんまり落ち込まないものよ」
「うん」
「あーもうお腹ぺっこぺこ」
 わざとらしく言ったら、達也が少しだけ笑った。
 
2.
 達也に案内された店の客は、土曜の夜ということもありほとんどが男女連れだった。夕飯を作るのが面倒な日に『おひとりさま』でレストランで夕食をとるのは別に気にならないけど、さすがにここの雰囲気は男連れじゃないといづらかった。
 二人で選んだのはよくある3皿のプリフィクスだった。前菜は3種の盛り合わせ、メインは私は魚で達也は肉を選び、ワインは魚と肉の間をとってロゼを1本頼んだ。状況が状況なので乾杯は省こうかと思ったが、達也はワインが注がれるとしっかりグラスを挙げた。
「たらふく食ってくれ」
「じゃあご馳走になります」
 そんな妙な挨拶で軽くグラスを合わせてから中身を半分くらい干して、グラスをテーブルに戻した。前菜を食べながら達也が話し始めた。
「今年入ったアシスタントの子がちょっとドジで可愛くてさ。周りも応援してくれて映画に誘えたまではよかったんだけど、もう二人きりで会うのはちょっと、とか言われてさ。何か失敗した? って結構しつこく粘ったんだけど最後は『ごめんなさい』だって。……やっぱり強引すぎると思ったんだよなぁ。あー、どうしよう。月曜日行きづらいわ」
 達也は良くも悪くも平均点男子だ。中肉中背、顔も性格もきわだって良くもなく悪くもなく、おおらかといえば聞こえはいいがあまり気が回る方でもなく、特に変わった趣味もなく人に語るほどドラマチックな人生でもなくみたいな。ひとことで言えば売りがない。おそらく達也が振られたのは特に失敗したとかではなく単純に相手がただ映画だけのつもりで来たとか、一日デートしてみたけどやっぱり合わなかったとかそんな風だろう。私も達也との付き合いは長いけど、恋愛対象として見たことないし……まで言ったらさすがに可哀想か。
「まあ映画見たくらいなら何でもなかったみたいに流せば。この店で断られるよりはマシだったんじゃない」
 ここで振られて自分達のテーブルだけ暗い雰囲気だったら相当なダメージを食らうと思う。この店はそれほど好きでもない相手に連れてこられたら入口で引き返したくなるような、男と女を意識するというか、愛と下心と欲望がうずまいてるような空間なのだ。アシスタント嬢はここに来る前に断って正解だ。おかげで私もご馳走にありつけた。
「残業で遅くなって疲れて戻ったら明かりがついた玄関でエプロン姿で出迎えてくれて『ごめんなさい、お夕飯失敗しちゃったの』……なんて言いそうな感じの子だったんだけどな」
 達也がぼんやりと私の背後にある壁を見つめながら言った。馬鹿達也。そんなだから振られるんだ。
「達也、悪いけどあんたの考えは色々間違ってる」
 
3.
 そこでメインディッシュが運ばれてきて、私達の会話はいったん途切れた。いい具合に塩のきいたポアレをワインと一緒に味わってから、私はさっきの話題に戻った。
「あんたの夢のエプロン姿は、現実じゃないから。幻想だから。まず第一に普通の奥さんは料理する時しかエプロンしません。ドラマの見すぎ。第二にそんな夜遅くにエプロン姿のままって、夕飯作るのに何時間かかってるのよ。しかも失敗とか。コンビニに走って食べられるもの調達するなり作り直すなりやりかたあるでしょうに。
 だいたい今は共働き夫婦の方が多いんだから、疲れて夜遅く帰ったら奥さんも残業で家は真っ暗ってことだって充分考えられるからね。女だって疲れて帰るなら部屋に明かりがついてた方が嬉しいんだから、もし私なら少しでも旦那より遅く帰ろうと思って残業引き伸ばすね」
 いかにも独身男っぽい幻想をひとつひとつ握りつぶすようにして現実を突きつけた。いまどきの女がそんな可愛いお嫁さんを夢見ているとでも思っているんだろうか。この歳になってもまだそんな夢を抱いているとは同い年として情けない。奥さんといえばいまだにエプロン姿というのも発想が貧しすぎる。無意識に家事は女の仕事だと思ってるんだろう。こういう幻想を押し付けられるのが分かってるから女はなかなか結婚まで踏み切れないのだ。おかげで助走ばかり長くなっていく。女が求めてるのはそういう男じゃない。
「私だったら『お帰り、ご飯できてるよ』って言ってくれるできる男がいいけどな。なんで男ってできない女が好きなの?」
 私に好き放題言われても今日の達也は言い返しもせずに自分の肉を眺めていた。と思ったらいきなり話題を変えた。
「俺、多分今年異動なんだ」
「そうなんだ」
「もう5年目だし、6年目の先輩が異動で入ってきたから入れ替わりで俺が出されると思う。多分、地方」
「左遷?」
 私の茶々に、やっと達也が顔を上げた。
「馬鹿。営業はそうやってあちこち回ることになってるんだよ」
「ふうん、それで転勤になる前に奥さん見つけたかったんだ」
……うん。そう言っちゃうとそうだったのかなあ。そんなに焦ってたつもりはなかったんだけど」
 転勤先に連れて行くならそんなドジっ子じゃ手がかかって困るだろうと思ったが、職場結婚なら社内事情も分かってるからちょうどよかったのかもしれない。
「いいじゃない。転勤してった先で達也が好きそうなドジっ子見つけたら」
「お前、さっきから何か言い方きつくない?」
「あ、今日はおごりだったんだった、どうしよう、忘れてた。自分で払えとか言わないでねー」
 そう言ってにいっと笑ってみせたら、達也が呆れたように溜息をついた。
 
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